「2045年問題」というテクノロジカル・シンギュラリティを迎えると、かつてなかった徹底的な管理社会になると思われる。今も苦悩する市民より、自由な奴隷ともいえる従順な国 民をほとんどすべての人々が選ぶ。自由で平等という幻想を信じつつ、見え隠れしている管理社会の網の目は見ぬままだ。つまり、この様な社会が深化、いやもっと徹底化するのが シンギュラリティ以降の社会である。しかしながらこのような呪縛は、エリートが善良な公僕として、かつて有閑階級が学問や文化を遊び戯れたように、全構成員が獲得した暇を謳 歌できるようなパラダイムの転換によって、解かれる夢と希望を見据えている。これら新有閑階級はボーダレスの世界をノマドが行き来するように、ディアスポラしつつもいつでもどこにでも旅行や文化活動、学習活動などが仕事になる。そのような仕事が游学になり、殆ど全ての民衆が游学階級になり、好きなことを制限なく、自らが選び遊び戯れるだろう。さ らに、ポストコロナにおいてはソーシャルディスタンスが消費者行動パターンを変えてしまい、多くの活動がリモートにおいてもVRやARなどの技術的な根拠によって臨場感あふれ るオンライン環境で游学を遊び戯れる。このような技術的な背景は、かつて天然痘やペストなどが齎した社会のシステムの変化とパラレルである。コロナ禍以降も根本的な社会の システムの変化が齎され、未来に根拠をもつシンギュラリティというパラダイムの変化が加速していく。その世界におけるシステムの一角がまさにディアスポラの游学階級が手に入 れるだろう「遊び」である。我々の「夢と希望のプロジェクト」はそれを実現するためのシステムを運営することになる。
夢と希望のプロジェクト